先日、東北の被災地で炊き出しボランティアを行ってきました。
少し長くなってしまいますが、以下ご覧いただければと思います。
震災直後から何かできることを探していました。
義援金のための募金をしたり、売り上げの一部を寄付したり、
東北の物産品を購入したり。
しかしテレビから流れてくるニュースでは、
未だ被災者のみなさんに義援金の分配がされていないとか、
わけのわからない政治ショー。
それならば自分で直接何かを届けようと思いました。
自分にできることといえば温かい食事を提供することぐらいだけど
何だかじっとしていられなくなったのです。
震災から3カ月が過ぎ、報道も少なくなりました。
風化していくこと、忘れてしまうこと、
そうならないように、起きたことを実際に見て、
それを多くの人に伝えていくことも必要だと思うようになりました。
そしてこんなときこそ力になりたいと思いました。
縁あって今回訪ねることになったのは宮城県の本吉町(気仙沼市)の
ボランティアセンター「はません」
夜明け前、荷物を満載にした車2台で友人らと出発しました。
東北道から三陸道へ。
あちこちに震災の爪痕が見られますが、
復旧が進んでいて順調に三陸道の終点まで着きました。
ちょうどお昼ころ。
出口から山道を少しいくと、なんだか様子が変。
よくみると津波の被害で山の木々が枯れているのです。
こんなところまで津波がやってきたなんて信じられないと
思うのもつかの間。
目の前にはあのテレビで見た光景が広がっていました。
そう、そこは南三陸町でした。
海まで見渡せるその土地にはガレキしかなく、
よくみると家々の基礎だけが残っていて、
そこに人々の暮らしがあったことだけがわかりました。
そこにあるものを目をそらさずに受け止めようと
カメラを向けましたが、なかなかシャッターが押せませんでした。
鳥肌がたち手が震えました。
そしてここが防災庁舎。
ここの2階で最期まで住民に避難を呼びかける放送をしていた
女性がいらしたことはご存じですよね。
勇気ある行動でどんなに多くの人が救われたことか。
更に海沿いの道を車走らせ、目的地に向かいました。
海はとってもおだやかで、この海原を津波がやってきたなんて信じられません。
対比する陸地が無残な状況で言葉がありませんでした。
ほどなく、目的地に到着。
すぐに、地域の住民の方、仕事を終えたボランティアさんのために
夕食の準備にかかりました。
麺料理と、スープとデザートを仕込み、夕方から提供させていただきました。
よろこんでいただけたようでうれしかったです。
(作業に忙しく写真を撮ることができませんでした)
そこには全国から多くの方が集まってきていました。
知らない誰かのために何かをする、そんな気持ちの方がこんなに多くいる。
日本も捨てたもんじゃないです。
片づけをして、再び車に乗り込み、坂道を下っていくと
先ほどボタンティアセンターで会ったおばあちゃん。
窓を開けてご挨拶をすると、手を握って気をつけて帰ってね。
がんばってね、と。逆に励まされてしまいました。
たいへん辛い思いをされたのに、人を励ますことができる。
なんて前向きでありやさしさにあふれているのでしょうか。
涙がでそうになりました。
現地に行ったことよかったと思います。
色んなことを学びました。
テレビからでは伝わらないことがたくさん。
復旧活動は進んでいるけど復興はまだまだ。
機会があればまた行きたいと思います。
こうして実際に見て、伝えていくこと、
そしてそれを続けていくことが大切であると感じました。
今回ご協力してくださったたくさんのみなさん
本当にありがとうございました。
心よりお礼を申し上げます。